まなちゃんのせいかつ

将来の夢は幸せになること。自分の気持ちに素直になって、私は私らしく女性という人生を謳歌していきたい。

JO1素人が『無限大(INFINITY)』のMV Short ver.を偏見で解説してみた

メンバー紹介だけして終わろうと思ってたのに。

ていうかしばらく更新するつもりなかったのに。

 

またトレンド入りしてるやん。

別に私まだJO1のファンじゃないって。(たぶん、おそらく、maybe)

 

なのにJAM(JO1のファンの意。めっちゃ教えてくれて感謝です。だけど、どういう意味?なんの略?)の方から「沼へようこそ♡」ってすごい勢いで歓迎されて笑った。

 

で、何事かと思って調べたら、MVのショートバージョンが公開されたんだって。

デビュー曲の『無限大(INFINITY)』。これね。

 

www.youtube.com

 

後学のためにちょっと見ておこうかなって。

1回だけ見ようかなって。後学のために。後学のためよ。

 

で、見た結果、え?これ公式が出してるんですか?って言いたくなるところ数カ所あったので解説しようと思う。

 

ちなみに、動いてたし髪型変わってたから(言い訳がひどい!)まだ名前判別できない人いるんだけどそこはスルーしてください。

 

ということで、前回に引き続き、名前と顔もまだ一致してないJO1素人がデビュー曲の『無限大(INFINITY)』のショートバージョンを解説します。

 

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はい、これ開始0:00。まだ始まってもないのよ?ナニコレ。

口のあけ方が絶妙にエロいのと、目にかかる前髪がエロいのと。

もう一回言うけど、まだ始まってないのよ?こんな調子で最後まで行くんですか?次いこ次。

 

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いや、もう次行かせてって。まだ0:00。よく止めたな私。

で、なんなんこの顔?こっちが上にいるのになんでそんな上から目線なん?物理的場所をも覆すその表情ナニ?

 

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追い越せない”だろ”ね。私も投げ飛ばしてください。お願いします。

 

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は?

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は?

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は?もはや怒りの感情さえ湧いてる。

まぁでも、ここに関しては、

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右側の銀髪の人(スミマセン)の腕。コレ、中学生も見てるんだよね?大丈夫なの?R18とかじゃない?

 

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あとここね。ナニ言ってるかわからんけど、最後の「はぁ」の「ぁ」のエロさ。わかる?コレに尽きると思うね。

が、次の「フォ」で全部持っていかれる。フォ〜

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えっと…こういうアニメなかった?既視感ある。っていうか、コレ人?人形じゃなくて?美しすぎない?やっぱり見れば見るほど人じゃない。(超失礼)

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そしてMVのショートバージョンと言いながらがっつりグループの解説が入るあたり、「みんなで売っていこう」という意志をすごく感じる。良い。

あとこの服ピラってやるやつ、コレも健全な教育上悪いのでやめてください。

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すみません、ここ突っ込みたくて書いたようなものなんですが、公式のMVでしょ?ここ広め時!でしょ?

「すごい楽しいです!」って、何その幼稚園児みたいな感想。可愛すぎ。

 

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はい、こういうのね。知ってるよ。わざとでしょ。メンバー同士でいちゃつくのがファンが一番好きって知っててやってるんでしょ。そんな魂胆見え見えでファンが喜ぶと思ってるの?そうです、喜びます。ありがとうございます。

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最後ね、コレだけ言わせてお願い。一番前の人(スミマセン)が最後に首をカクってするやつ。200回くらいリピートした。髪の毛の先から爪の先まで全てが「エロ」で構成されている。尊い

 

もっと突っ込みたいとこあったけど、朝になりそうだったから終わる。

 

発売が楽しみですね。

ファンの熱意に触発されてJO1について偏見で解説してみた

ライターという仕事を始めて2年。

本当に初めての感覚を味わせてもらった。

 

読者さんから「ありがとう」と言ってもらえること。

 

吉本興業さんからの依頼で、JO1というアイドルグループの取材をさせてもらった。

その記事を公開するタイミングが良くて、1万PVくらいになった。ありがたし。

 

まぁ普段媒体を通して書かせてもらっていると20万PVなどザラにあることで数字としてはそこまで大きいものではない。

 

が、個人のTwitter経由でのPVがここまで伸びるのは(私の力不足だが)初めてのことで、正直ちょっと舞い上がっていた。

 

そんな時に、ファンの方からの一通のリプライが。

 

「記事書いてくれてありがとう」

 

と。その後も続々と同様のリプをいただきまして。

 

全身の毛穴という毛穴が開く感覚だった。

 

読んでくれてありがとう、なのに書いてくれてありがとうって。

泣けた、です。

 

もちろんそれは、JO1がサプライズゲストで登場してファンにも知らされていなかったこと、クローズなイベントでゲストが超VIPしかいなかったこと、今回のイベントレポしてるのが私しかいなかったこと、たくさんの”ラッキー”が重なってのことだ。

 

んなことわかっちゃいるけど、嬉しかったんだ。

 

で、あまりにも嬉しかったから、その気持ちをなんとかかんとかできないかと思い、今回書くことにした。

 

JO1の紹介を。

 

ファンの皆さんの”広めたい”という思いがアツすぎる。便乗させていただくことにした。私がもらった嬉しすぎる気持ちのちょこっとしたお礼に。

 

と、ここまで書いて申し訳ないが、実は私、仕事のご依頼をいただくまでJO1のこと知らなかった。スミマセン。

 

「オーディションやってるな〜」「プデュ」ってよく聞くな〜程度。マジスミマセン。

 

で、仕事のご依頼をいただいたのが取材前日の夕方。

 

メールに「JO1の取材に行っていただきたく…」とあり、どこかの場所の名前かと思ったレベルだ。ググった瞬間、見目麗しい男性11人が出てきたときの驚きときたら。

 

そしてもう一つスミマセン、韓流アイドルだと思った。

 

が、よく見たら名前が日本人。しかもほぼ全員、キラキラネーム。「碧海」で「スカイ」って誰が読めるんだよ。與那城奨ってどこまでが苗字でどっからが名前だよ。

 

密着取材ということで、さすがにこのレベルでは失礼かと思い、前日から必死に勉強した。

 

が、マジ、カオイッショニミエルヨ。必死で顔と名前の照合作業を行った。それなりに分かるようになった。

 

で、当日。

 

私が見てたのが公式HP(https://jo1.jp/profile/listに載っているアー写

で、当日現れた11人がこちら(https://laughmaga.yoshimoto.co.jp/archives/58002)。

 

いや、全然チゲージャン。私の脳内パルプンテ

 

私、髪型で覚えてたよ。人って髪型変わるとこんなにも変わるんだね。ファンの人すごいね。

 

結局誰が誰だか本当にわからないまま、取材が始まって、でも誰が何言ったかは記録しておかないといけないから取り敢えず服装と容姿の特徴をメモってた。

 

後から見返して驚いたね。

 

「青いジャケット イケメン」「ピンクの花のパンツ イケメン タイプ」「茶色コート 背高い イケメン」

 

全員に”イケメン”とメモ書きしてたね。いや、その時は必死なのよ。

 

まぁとにかく見目麗しゅう11名でございました。

 

しかも皆さん優しいのですよ。こんな「最後に1日フルで休んだの去年の8月じゃね?」というほど働きまくってボロボロの私に笑顔で話しかけてくれるのよ。素敵。

 

前置きが長くなったが、そんなJO1のこと全く知らん私が素人なりに解釈した魅力を、名前の読み方付き(!)でご紹介しようと思う。

 

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公式HP(https://jo1.jp/profile/list)からお写真を拝借した。

 

まぁ、あれだよね。美しいよね、基本的に全員。左上から時計回りで。

 

豆原一成、読み方はまぁ結構そのまま、まめはらいっせい。『PRODUCE101JAPAN』の第一位らしい。なんとまぁこの方、17歳なんですよ。高校生!もし私の高校時代にこんな子がクラスにいたら、もはや恋するのも憚られるね。

 

川尻蓮。かわしりれん。れん。出たよ。イケメンってなんでみんな蓮って名前なの?生み落とされた瞬間からイケメン確定してたわけ?しかもこの顔で好きな食べ物チョコとフルーツで、目薬が苦手って、もはやアイドルになるために生まれてきたようなものじゃんね。ずる。

 

川西拓実。こんなの言ったらアレだが、名前が一番まとも。驚くべきがその経歴。元会社員なんだそうで。え?会社員…!!!オフィスラブとかいう妄想がアレがアレするやつ。無理。職業ライターですが言葉が浮かびません。無理!

 

大平祥生、おおひらしょうせい、19歳。もはや女性じゃね?女の子もびっくりみたいな美しい女ですやん。ピアスエロくない?この写真キメ顔だけど笑った顔(調べた)ちょーかわいい。ずるい。

 

鶴房汐恩、つるぼうしおん。鶴房という苗字もさることながら、またイケメンに多い名前(偏見)のシオン。ファンの人が色々プロフィール教えてくれたんだけど「簡単に言うと一人KAT-TUN」っていう最も意味のわからない感じだった。どういうこと?だれか教えて。

 

與那城奨。冒頭にも出てきたけど、マジどっからが名前?ってやつ。與那城|奨。よなしろ|しょうだって。リーダーで英語も喋れる。英語まじスゲかった。あと、眼力。3秒見つめられたら石になっちゃうね。メデューサですよ。あ、同い年です、なんかスミマセン。

 

金城碧海。はい読めません。きんじょうスカイ。海なんですか空なんですかとツッコミたくなる。イケメンにのみ許された名前。この顔面で19歳はもはや違法でしょ。

 

河野純喜、出身奈良県。私奈良県出身なんですが、奈良にはこんなイケメンいません。奈良県中のイケメン要素をかっさらっていったな。奈良のキセキ。てか、え?ここまで書いて気づいたけど卒業高校一緒らしい。え、まじ?後輩!?え?(混乱)

 

木全翔也、きまたしょうや。ショウヤって漫画の世界の名前だと思ってたら実在するんですね。これでウサギ飼ってるんだって。私もウサギになって撫でられたいな。

 

佐藤景瑚。あれ?神様って二物も与えないんじゃなかったでしたっけ?顔がカッコ良くて身長181cmってもはや差別の領域じゃない?怖い話が好きだそうで、「きゃー怖い」「大丈夫、俺がいれば怖くなry」という妄想が。てかごめん、「ry」とか100年ぶりに使った。書いてるうちに元来備わってるオタク心が…。

 

白岩瑠姫。ルキ!イケメンでよかったね…と。思わず誰目線?と突っ込みたくなるような感想が浮かぶ名前ですね。顔、名前、表情、そのどれをとっても王子様。元ジャニーズJrらしくデビューを心から祝福したくなる。

 

 

…とまぁ以上11名を偏見丸出しで紹介してみた、よ。また機会があれば書いてみようと思いますので。

 

書き終わる頃にはすっかりファンになってた。

 

恐るべしJO1。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傷跡と生きるvol.02

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ついに迎えた退院の日。

 

歩行速度はカタツムリには変わりなかったがやっとの思いで家に帰ることができた。

普段何気なく使っている手すりやエスカレーター、エレベーターに何度も救われた。

 

ありがたし。

 

余談だが、病院のトイレは座りやすかった。

 

家に帰ったという喜びを遥かに凌駕したのが、お風呂だ。

 

病院にこもっていたとはいえ真夏に10日間もお風呂に入れなかったのだ。

それなりに香ばしい香りがしていた。

 

お見舞いに来てくれた友人たちに「臭いな」と思われたくなかったので「めっちゃ臭うやろ!?」と先に言って保険をかけていた。

 

健気だ。

 

いざお風呂に入ろうと思うと、洋服を脱ぐのも、お湯に入るために浴槽を跨ぐのも一苦労。

 

やっとの思いでお湯に浸かる。

 

あぁ、ここはオアシスかしら。

ここで初めて「生きていてよかった」とそう思った。

 

それまでにも幾度となく言ってもらえた「生きててよかったね」という言葉。

 

正直なところ、死にかけた実感も生き残った実感もなかったが、本当に初めて、「生きている」と思った。

 

しかし生きていてよかったとは思ったものの、「人生一度きりだから好きなことしよう」のように価値観が変わるようなことはなかった。

 

人の価値観なんてものは、交通事故にあって死にかけたり海外に1年やそこら行ったところで変わるものではない。人との出会いによって、恋によって変わるものなのだ(自論)。

 

それからしばらくは通院し、治療を続けた。

1ヶ月もすると傷口も気にならなくなり、普通に歩けるようになった。

 

夏休みが終わった。

 

傷口が気にならなくなったと書いたが、それはあくまで主観であって、一般的に見ればまだまだ傷跡は生々しく、なかなかにグロテスクなものだった。

 

車のシートベルトが痛かったり(今度運転席に座った時に意識してもらいたい。シートベルトって首に当たるんだよ。知らなかったでしょ?)、お酒を飲むと血流がよくなって血が吹きでてくるのでは!?と焦ったり(じゃあ飲むなよという正論はご勘弁ください好きなんですお酒が)と、何かと不便に感じることは多かったが、楽しく過ごしていた。

 

事故からちょうど3ヶ月後、大学のイベントでハロウィンパーティーがあった。大学生になったばかりでそういうのにも行きたいお年頃だった私は、友達と化装して潜入した。

 

会場に入った瞬間、友達が駆け寄ってくる。驚いた表情をする。

 

「え!真奈のその傷メイクすごいな!どうやってやったん?」

 

すみません、体張って作った自前です。

 

今でもハロウィンのたびに思い出すエピソードだ。もう笑い話だ。

 

傷が消えてもこのエピソードは消えないな、すべらない話になるな、なんていう甘い思考は何度目かの通院で打ちのめされた。

 

お医者さんに言われた。

 

「傷跡は、一生残る。消えない」

 

通常、皺に沿った傷ならば時間が経てば比較的目立たなくなるそうなのだが、私の場合、皺に垂直な傷。縦にざっくり、だ。消えないそうだ。

 

それまで「いつか消える思い出」程度に考えていた傷跡。消えないと断言されたあの時の衝撃ときたら。感情ときたら。仮にもライターという肩書きで文章を書く仕事をしているくせに申し訳ないが、うまく言葉にできない。

 

当時の私は、気が狂ったように「傷跡 消す方法」「コンシーラー 隠れない 傷」などと検索していた。

 

当時のインスタグラムにストーリーズ機能があったならば、私のストーリーズには医療用のコンシーラーの広告が溢れていただろう。

 

事故から1年半後の2016年3月、形成手術を行った。

 

事故当日の手術は縫合手術と呼ばれるもので、とにかく開いた傷口を塞ぐ応急処置のようなものだった。

言い方は悪いが、ザク縫いといった具合だ。

 

今回の形成手術は、傷跡を少しでも目立たなくするためのもの。もうあんな思いはしたくないから全身麻酔で…とお医者さんに訴えたところ「当たり前だ」と言われた。何時間もかかるから寝かしてくれるとのこと。

 

安堵。

 

しかし、チョチョっと縫って終わりと思いきや、結構大がかりな手術らしい。

 

手術の詳細を説明してもらった。

 

今塞がっている傷を一旦ジグザグに切り開き、綺麗に縫い合わせるそう。説明を聞いているときはあまりにも恐ろしく他人事として捉えることで乗り切った。

 

私の身体をジグザグに切り開くなんてそんなことはやめてくれ。心は訴えていた。

 

「それでもマシになる程度だからね。全部は消えないよ」

 

「うん、わかってるよん」

 

その頃にはもう、「交通事故 顔 一生傷 いくら」と検索するようになっていた。

 

形成手術のための入院は、3日間。

 

全身麻酔には様々な検査が必要だった。肺活量だったりなんやらかんやら。血も抜いた。注射器3本分。

 

「結構抜くんですね、貧血でフラフラする」

 

「大丈夫、3本分でスプーン一杯もないくらいだから」

 

病は気からです。

 

何より苦労したのは肺活量の検査だった。

 

私には中学校の吹奏楽部で鍛えた自慢の肺活量があるのだが、検査の時にあまりにも頑張りすぎたら効きすぎて二度と目覚めないのではないか、逆に弱くしすぎたら手術中に目覚めるという前回の恐怖再びという展開になるのではないかとハタチの私は思い悩んでいた。

 

恐怖に打ちひしがれながらも、全力で吹き込む方を選択した。

 

検査技師さんは笑った。

 

「そんなに頑張らなくていいですよ。普通で」

 

普通とはなんだ。まさか病院の検査室の中で哲学的な思想に耽ることになるとは思いもしなかった。

 

普通ってなんですか?

 

ちなみに、私が一生懸命していたのは腹式呼吸だった。何度もやり直した。

 

検査も終わり病室に行くと、まず点滴をするという。腕を差し出す。左腕にチクリとした痛みがした。直後、看護師さんが声を出した。

 

「あ」

 

看護師さんの「あ」は、病院で聞きたくない言葉ランキング第1位ではなかっただろうか。

 

「ごめんね、血管が細くて失敗しちゃった。もう一回するね」

 

チクリ。

 

「ダメだねえ」

 

二度も失敗された挙句、腕では無理だと判断された。次の看護師さんの行動はあまりにも無慈悲なものだった。

 

親指の付け根あたりの血管にブスり。注射は苦手ではないタチの私でも流石に顔を歪めるほどだった。

 

いてえよ!!

 

3日間、親指に針が刺さった状態で過ごした。

 

あ、見る?

 

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さて、今からありきたりな話をしようと思う。

 

待ちに待った(と表現するのが正しいかどうかは置いておく)手術当日。

 

手術室に移動する前にまた注射された。

 

「だんだんと意識がぼんやりしてくるからね、気付いたら手術終わってるよ」

 

しかし一向に意識がぼんやりする気配がない。

むしろ緊張からか興奮状態である。

 

手術室への移動時間がやってきた。

え、ちょっと看護師さん、意識全開なんですけど。

 

「手術室で麻酔するから大丈夫よ」

 

そう言いながらベッドごと手術室へ移動した。今回ばかりはお姫様だわと思うような余裕は流石の私にもなかった。

 

入室後、

 

え、怖い怖い怖い。ちょ、ここドラマで見るような天井やんすげえ。待って怖い無理。あ、ほんまに青い服着てるんや。え、無理。と絵に描いたような情緒不安定であった。

 

「じゃあ、麻酔するね」

 

やだよ怖いよ。

 

悲しきかな、心の声は届かない。口と鼻にマスクを被された。

 

「3、2、1って心で数えてね」

 

じゃあ数えてねと看護師さんが言った直後、マスクからぷしゅうとガスが入ってきた。麻酔が効かないことを何よりも恐れている私は必死で吸う。

 

3、2…

 

ドラマや映画で意識が遠のいていく様子を表現するために映像がぼんやりする演出があるが、あれは限りなくリアルに近いということを知った。

 

目に貼られていたテープが剥がされた感覚があった。あぁ、意識が戻ったようだ。無事、人間界へ生還である。

 

喉が激しく痛い。乾燥している。口から気管まで人工呼吸用のパイプが通されていたようだ。そして、何より激しく気持ち悪い。人生で一番吐き気を感じていた。

 

否、二日酔いに比べたらマシだった。二日酔い、あれはダメだ。死にたくなる。

 

まず周りの目が優しい。気持ち悪いですと訴えても「アホやなw」と失笑される二日酔いとは違い「辛いね頑張ったね」と柔らかい声をかけてもらえるのだ。

 

麻酔万歳。

 

2日後には、無事退院することができた。

 

つづく。

傷跡と生きるvol.01

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私の身体に大きな傷跡があることを知っている人もいるし、知らない人もいる。

もしかしたら気になっていたけど聞けないでいる人もいるかもしれない。

 

無性に書きたくなった。

交通事故に遭い、5年半に渡り裁判を行った。その終わりが漸く見えてきたこのタイミングで、覚えている範囲のことを全て書こうと思う。

 

単純に読み物として楽しんでもらえたら。

 

裁判の最大の争点は、その傷を負ったことにより経済的被害を受けているかどうか。

逸失利益と呼ばれるものだ。

 

ー話は遡り、2014年夏。

 

私が大学生になって初めての夏、(確か夏休み初日だった記憶がある)私は交通事故に遭った。

 

お昼前、自転車を乗っていたら車と正面衝突した。
らしい。

 

らしいと表現したのは、実は事故当時のことはあまりよく覚えていないからだ。

 

車のフロントガラスは蜘蛛の巣のように割れ、自転車は変な形に曲がり、血だらけの私はICU(集中治療室)に救急車で運ばれた。

 

顔から胸元までザックリパックリ。写真は割愛する。ショッキングすぎる。

 

ここであえて不謹慎な発言をすると、せっかく救急車に乗る(しかも怪我人として)という貴重な経験ができたのに、記憶にないというのが残念でならない。

 

救急隊の方の話によると「頭を強く打っており、意識が混濁していた」とのこと。いや、怖い。

 

救急車で運ばれているとき、お母さんに救急隊の方が電話をしてくれたらしい。

 

私の携帯電話からの着信を受けたお母さんは、電話越しに聞こえる救急車のサイレンの音を聞いて「あぁ、近くで救急車が通っているんだな」と思ったそうだ。

 

それほど、非現実的なことだった。

 

近くに通ったはずのサイレンがいつまでも響いていたのだから、何事かと思ったはずである。

 

「娘さんが、交通事故にあわれました」

 

「え?」

 

「頭を強打しており、意識が混濁しています」

 

「命に別状はないんですか?」

 

「僕たちからは何も言えません」

 

以上の会話がなされたそうだ。

 

どれほど怖かっただろう、想像に難くない。

 

全身全霊の「ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」だ。

 

お陰様でこの通りピンピンと生きております。

 

さて、私の次の記憶がしっかりとあるのは病院だった。

 

「目が覚めたら、白い天井に、薬品の匂い」というまさに小説にありそうな状況。

 

救急車から担架で病院に運ばれながら看護師さんに「生きててよかったね。フロントガラスにぶつかった後、ボンネットに乗り上げたから生きてたんだよ。そのまま吹っ飛ばされていたら死んでたよ」と言われた。

 

「死んでたよ」という言葉を「へぇ」と、なんともあっさりとした感情で受け入れ、また記憶がなくなる。

 

そして次の記憶が、集中治療室の手術台の上。

 

なんだかぼんやりと意識が戻ってきて、私の頭の上で会話が繰り広げられているのが聞こえた。

 

「そうそうそんな感じ」

「それで大丈夫」

 

……

 

目を開けると女性のお医者さんと目が合う。

 

「あ、起きた?あなた事故にあったのよ。ちょっと気持ち悪いと思うけど動かないでね」

 

手術なう。だ。

 

手術なう!?

 

部分麻酔で顔から首元にできたパックリ割れをせっせと縫ってくれていた。

 

いっそのこと全身麻酔でお願いしたかった。

それか、ここの記憶もなくなっていてほしかった。

 

恐ろしいのは、こんな状況であるにも関わらず一番に思ったことが「お気に入りのTシャツが」である。

 

集中治療室の手術台の上で手術なう、の時に思うことではない。

 

さらに悲しいのが、そのTシャツはユニクロの数百円のTシャツだということだ。(数百円のTシャツをお気に入り認定している私のファッションセンスは忘れてほしい)

 

白のTシャツは血に染まり、手術のためにハサミで切られた。

 

病院で血みどろのTシャツを受け取り帰宅した母と妹が写真を撮ってくれていた。ショッキングフォトなので割愛させていただくが、それにしてもなんとも愉快な家族だ。

 

もちろん、集中治療室で命に別状はないと断言された後のことである。どれほどドキドキさせたのかと思うと本当に申し訳ない。

 

そんな「Tシャツが」という私の貧乏くさい思考を遮ったのは看護師さんが発した「足も消毒するね」という言葉だった。

 

自転車と車が正面衝突して吹っ飛ばされて首と顔がパックリだけで済むはずはなかった。

(骨が折れていなかったのは私の日頃の行いだろう)

 

右足のふくらはぎがえぐれていた。

 

なぜ、なぜ全身麻酔にしてくれなかったのだ。

やがて訪れるはずの消毒の痛みを想像して、半ばパニックの私。

 

ただこういう時も、人に元来備わっているプライドというものが作動するようで、「別になんでもありません」という表情をした(つもり)。

 

次に聞こえたのが

 

「あぁ、傷口に砂がいっぱい入ってるね」

 

「ちょっと歯ブラシ取ってくれる?」

 

!?

 

なぜ、ここで記憶が戻ったのか。自分を呪った。

それからのことは、私の記憶からは抹殺した。

 

これも生きていくための防衛反応である。

 

その日から3日間は集中治療室にいた。

薬のせいなのか、怪我の衝撃なのかは不明だが、ほぼ眠っていた。

 

時折、救急車で運び込まれてくる音が聞こえる。

私はもちろん起き上がることもできず、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

 

何度か吐いた。

 

4日目からは一般病棟に移動となった。

ベッドごと移動。ちょっとお姫様気分だ。

 

途中で一般病棟用のベッドに移してもらった。

 

あまりのベッドの柔らかさの違いに驚いた。

一般病棟のベッドは、とても固い。

 

やはり救命の患者さんはある意味でも”特別扱い”なのである。

 

このあたりから漸く「暇だ」という感情を抱くようになった。

 

そしてもう一つの感情が「お風呂に入りたい」だ。

8月。真夏である。

 

この時点で既に4日間お風呂に入っていない。

汚い話で申し訳ないが、結局入院していた10日間はお風呂に入ることができなかった。

 

お風呂に入れないということはわかったから、とにかく髪を洗いたかった。

 

毛先に血がこびりついていたのだ。

気になって仕方がない。

 

5日目の朝に看護師さんが「今日シャンプーしようね」と言ってくれた。

まさに、天使の囁きであった。

 

それからはもうシャンプーのことしか考えていなかった。

 

頭皮に温かいお湯がかけられ、良い香りのするシャンプーでシャワシャワと洗ってもらえる

 

美容院では気になってもなかなか言えない「気になるところはありませんか?」という問いかけにも今日は正直に答えよう。「毛先の血が気になります」と。

 

シャワシャワシャワシャワシャワ

 

妄想である。

 

しかし、昼になっても夕方になっても一向に「シャンプーしましょう」という声がかからない。

 

看護師さんも忙しいし、声をかけるのは迷惑かな

 

それでなくとも、朝ごはんの時に出てくる牛乳が飲めないから飲むヨーグルトに変えてほしいとお願いしたにも関わらず、お昼まで寝て朝ごはんを食べないという昭和の親父もビックリみたいな我儘ぶり発揮していたのだ。

 

が、そんな状況でも私は今の私と変わりはなく、「シャンプーいつですか!?」と食い気味に聞いた。

 

「あ

 

その時の看護師さんの「忘れてた」という顔は、多分一生忘れない。

 

あなたが毎晩面倒臭がっているお風呂やシャンプー。

当時の私にとっては、妄想だけで半日過ごせるほどの存在だったのだ。

 

それを「忘れてた」とは。何事だ。

 

まぁ良い。今からやってもらえるのだから。

そう思っていた時に看護師さんから発せられた衝撃的な一言。

 

「あなた頭打ってるでしょう。だからシャンプーして良いかどうか、先生に確認してからじゃないとダメなの。で、ごめんね、先生がもう帰っちゃったから

 

絶句。

 

仕方がない。看護師さんも忙しい。こんな車に吹っ飛ばされた奴の一人だけに構ってはいられないのだ。

 

「じゃあ、明日聞いて大丈夫だったらお願いします^^」

 

震える声で言う。

 

「あのね今日金曜日でしょう。次先生が来るのは月曜日なの。だからあと2日は我慢してくれるかな?」

 

それは無理だ。

 

「嫌です」

 

今改めて考えるとあまりにも幼稚な抵抗で笑えるが、当時は必至だ。一世一代の大シャンプーなのだ。

 

「いやでも」看護師さんも困ってしまう。

 

しかしあまりにも私が抵抗し、緊迫した表情をしていたからなのか、なぜか次の日にはシャンプーしてもらえた。

 

病院では、喚いたらシャンプーしてもらえるということを学んだ。

 

どんな美容院でしてもらうシャンプーよりも、気持ちよかった。

しかし人間の欲求とは恐ろしいもので、あれほどしてもらいたかったシャンプーをしてもらえると、次は体も洗ってほしいと思うのだ。

 

言うのはタダだ。お願いしてみた。

 

「そんな傷だらけの体、洗えるわけないでしょ。抜糸もしてないのに」

 

ごもっともでした。

 

シャンプーをしてもらえて、少しご機嫌バロメーターが上がった私を待ち受けていたのは、抜糸だ。

 

開いた傷は針と糸で縫い合わせて、そろそろ皮膚がくっついたかなというタイミングで糸を抜く。

医療とは案外アナログなんだなと。

 

その頃にはもう車椅子で移動できるまでに回復していた。人間の治癒力とは凄まじい。

 

抜糸は外来と同じ治療室で行われるため、一般の患者さんと同じように外来の待合室で待っていた。

 

いくら回復したとはいえ、包帯巻き巻きで身体中傷だらけのボロボロな車椅子の女である。

 

ちなみに全身を強打している。

 

黒色緑色黄色

 

何の色か?肌の色だ。内出血が激しいと人間の体は変な色になる。どんどん変わっていく自分の体の色が不思議だった。

 

抜糸の時点では緑色の段階だった。シュレックかよと笑った。冗談ではない。本当にシュレックのように体が真緑だったのだ。

 

傷だらけのシュレック

 

その場に居合わせた一般外来の患者さんには悪いことをしたなと思っている。

 

しかしここでも入院患者は”VIP扱い”らしく、優先的に治療室に入れてもらえた。

 

ここで一つ残念なお知らせがある。

 

抜糸の詳細も、記憶からは抹殺させていただいている。

それはそれはもう、酷いものだった。

 

抜糸直後は、首を動かすと傷がぱっかりと開いてしまいそうで怖くて、頷いたり傾げたりすることができなかった。お見舞いに来てくれた友人に爆笑されたのが印象に残っている。

 

「傷が開きそうでwww横向けないから前向いて喋るねwww

 

全く笑い事ではない。

 

抜糸の次は、退院というミッションだ。

 

糸も抜け、感染症抗生物質の投与も終わり、ご飯も食べられるようになり、後は歩けるようになれば退院できるという噂を耳にした。

 

「もう元気です。歩けます」

 

大嘘だ。

タツムリなのかな?というスピードでしかも手すりがなければ歩けないくせに、ただ早く退院したいがために強がった。

 

この強がりの発言が5年半後の裁判にて不利に働くとははつゆ知らず、駄々をこねまくった結果、3日以上早く退院できた。

なんでも言ってみるものだということを学んだ。

 

つづく。

100Dreams

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本当に久しぶりにブログを書いてみることに。
気づけば最後の更新からもう1年以上経っていてびっくり。

 

最近は小説として感情を表現することが楽しいのだけれど、
たまにはこんな風に書くのも良いかななんて思って書いてみることにしました。

 

で、今回書こうと思ったのはちょっと嬉しいことがあったから。

 

「100 Dreams」というものを書いたのですよ。

 

人生で叶えたいことを100個ひたすら書き出すという作業。

いやこれが、地味に難しいんだよ。

 

まずとにかく、恥ずかしい。
だって、自分が心の中でこっそりと思っている「やりたいな」
を書き起こしていくのだから。

 

他人が見たら「アホかな?」というようなことも、
つらつらと書いていきます。

 

大真面目に。

 

実はこの100 Dreams、2年前も書いてました。
ちょうどフリーランスのライターとして仕事を始めた頃。

 

今回書くにあたって、
2年前の「100 Dreams」を見返していて。

 

そうしたらびっくり。

 

100個あったはずの人生をかけてやりたいこと、
2年後の今、半分以上が叶っちゃってた。

 

あ、ちょっと言い方が違うかな。

 

ほとんど叶えちゃってた。

 

「人生思い通りにしかならないのだから、
どんどん夢は描いた方が良い」

 

当時、ある人に言ってもらった言葉。

 

これを聞いて、「100 Dreams」を書こうと思ったんだけど
今でもよく覚えてます。

 

難波の駅前のタリーズでウンウン頭を唸らせていたのが懐かしい。
100個書き出すって、結構大変な作業なんだ。

 

実際に書いてみて、
2年後の今日振り返ってみて改めて、
夢を言葉にしてきちんと描くってめちゃくちゃ大切なことなんだなって。

 

だって、自分が叶えたい具体的なことが目に見えてわかるから、
その途端、急に夢じゃなくて「目標」に変わるのよ。

 

書き出すだけで、ぼんやりと描いていたはずの夢が
現実にグッと近づいてくる。

 

で、今日も「100 Dreams」を書きました。

 

100個書き出していくと、不思議なことに、
「そんな風に考えてたんだ」って自分で自分に気づくこともあったり。

 

面白いのが、今書き出した100個と2年前の100個を比べたら
2年前に達成できていなかったことは、
ほとんどそのままそっくり今にも書いてた。

 

私って、面白いなあって。

 

で、今わたし、具体的なやりたい100個のことは書き出せても、
じゃあ将来どんな風になりたいのか?
みたいなところは相変わらず全く見つけられなくて。

 

でも最近はそう言う質問に対して
大きな声でハキハキと「今はわかりません!」

って言えるようになりました(大成長)

 

だって、わからないのだから仕方ない。
だから、わからないうちは目の前にあるものに全身全霊で取り組むの。

 

それが正しいことかはわからないけれど、

その選択を正解にすれば良いだけのことだから。 

 

私は今日も明日もこれからも、
自分の心の声をきちんと聞いてあげて
自分が一番心地よく過ごせる状態で生きていたいなって。

 

また数年後、この100個を見返したときに、

一つでも多くの夢が叶っているといいな。

 

ま、叶えていくのだけれども。

 

私なら大丈夫だと信じて、今日も明日も全力で。
昨日の自分より少しでも素敵であるために、

私は頑張ります。

 

なーんて、相変わらず物凄い独り言ブログ。

 

私は私らしい成功を

実に3ヶ月ぶり。

 

ふとした瞬間に書きたくなったりする。

ということで。書く。

 

ちなみに4・5・6月は

文字通り仕事に忙殺されていました。

 

ブログ書く時間ない~

とかクソみたいな言い訳。

 

時間は作るものだと。

 

社会人になって3ヶ月。

もう4ヶ月目。

 

正直な話。

 

内定辞退した!いくぜ!

ってフルスロットルで走り出したものの

ほんの1ヶ月でぶち当たる壁。

 

待って待って。

思っていたのと違う。

 

予想も想像も想定も遥かに超えて来たな

”社会”さん。

 

もちろん、社会人って大変~

っていう壁もあるけれど。

 

そこは大丈夫。

 

そこではなくて。

 

完全に目の前真っ暗。

いわゆる”将来のビジョン”

がなくなっちゃったのね。

 

ついこの前まで

あんなにまっすぐに見えていたのに。

 

面接ではスラスラ答えられていたのに。

 

だって見えているものを答えてたいだけだから

めっちゃ簡単。

 

自分がどんな人になりたいのか

どんな女性になりたいのか

どんな生き方がしたいのか

どんな風に生活したいのか

どんなことが幸せなのか

 

もう、完全に見えない。

 

めっちゃ怖い。

 

仕事の関係とかで

いろんな人と会う機会があって。

 

割と聞かれるのよ。

 

何目指しているの?

とか

何がしたいの?

とか。

 

せっかく聞いてくれてるから

なんか答えなきゃってなるのよ。

 

見えていないものを

まるで見えているかのように話すのね。

 

それがまた自分に対して

プレッシャーになる。

 

だんだん

”何か目指さなきゃ”

”何か特別なものにならなくちゃ”

”かっこいい女性にならないと”

 

もっともっともっともっと・・・

 

って。

そりゃしんどいわ、みたいな。

 

でも。

 

昨日本当にふとしたことで

パッと気づいた。

 

絶対的に幸せだったらよくないか、と

絶対的に満足できたらよいんじゃないか、と

 

別に人と、世間と比べて

 

相対的に見て幸せとか

相対的に見てお金持ちとか

相対的に見て成功しているとか

 

そんなのは関係ないんじゃないかと。

 

例えばの話。

 

10万円というお金。

からしたらめちゃくちゃ大金。

 

でも10万円をはした金感覚で使う人もいる。

(実際に見た)

 

10万円を大金と思うならそれでいいのではないか。

それは、ダメなのかことなのかな?

 

成功している人はその10万円を100万円に変える

って多分言われる。

 

10万円を100万円にする

能力も知識も人脈もすごいと思う。

 

すごいけれど。

 

10万円を自分らしく使うことは

失敗なのかな。

 

10万円を絶対評価的に幸せに使えたら

それでよいのでは。

 

何が言いたいのかというと。

 

起業して上場したから成功している人、とか

一軒家を買って子供がいるのが幸せな家庭、とか

 

そういう”世間一般に言われている”

というところに翻弄されなくて良いと思う

 

ってこと。

 

こういうのって当たり前の考えなの?

やっと気づいたんですけど。笑

やっと気づいてめっちゃ楽になったんだけど( ;  ; )

 

成功者は~

とかいうのに振り回されまくってた

 

あーしんどかった。笑

今日から少し足取りが軽くなりそう。

 

自分が行きたいと思う場所に

自分らしい方法で

自分のペースで向かって辿り着いたら

 

それが成功なのであって。

 

きっと

自分らしい幸せなんじゃない?

 

なりたい自分も

ゆっくり見つけられたら良いな。

 

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サークル

久しぶりに書きたくて書きたくて

うずうずしたので更新します。

 

毎日、朝から晩まで文字を書きまくって

今現在も締め切りと戦っている訳ではありますが

それでも、書きたい。

 

その原因が、コチラ。


Shuffle SEASON MOVIE 17-18 『One's own kicks』

 

同志社大学スノーボードサークル"shuffle"の

2017-2018シーズンムービー。

 

私が4年間(正確には3年半)所属した

サークルの今年度の集大成です。

 

今日は、サークルのこと書くけれど。

私は、社会人2週目が始まろうとしていて

ヒイヒイ言ってます。

 

そんなことはさておき。

 

昨日オフィシャルに公開されて

さっき見たんだけど。

 

号泣。

 

開始2分で号泣。

 

そりゃ私も少しだけれど出演させてもらってるし

それなりの思いがあるから

っていうのもあるんだけれど。

 

これね、何がすごいってね。

ほぼ全員がね。

 

初心者からのスタート。

 

スノーボードしたことない

雪山にさえ行ったことない

 

そんな人たちの集団です。

 

そんな人たちが、

レベルに差はあれど、ここまでになる。

 

恐れ慄くべき事態です。

 

何が言いたいかって。

shuffleに入っていたらスノーボードが勝手にうまくなる

っていうことではなくて。

 

そうなれる環境がある、ということ。

 

進研ゼミを受講しているからといって

賢くなれるわけじゃないのと一緒で。

 

本気で頑張れる環境があるということ。

 

私にとっては心地よい空間だった。

 

大学に入学して1回生の秋まで、ふらふらーっとしていて。

特に本気になれることもなく。

 

バイト代が飲み会代に消えていくような半年間。

 

それはそれでそれなりに楽しかったけれど。

 

なーんか物足りない感覚。

 

そんな時にたまたま出会ったこのサークル。

あースノボとかしたことないし、

新しいこと始めたいし、ちょうどいいかも。

 

くらいのテンションで。

春にメンバーの募集が終わっていたのだけれど。

 

私もスノボしたいので、仲間に入れて欲しい!

って当時の会長さんに連絡して

いきなり誰も知らない飲み会に参加。

 

我ながら度胸あるなーって思うけれど

この時の自分に拍手。

 

そこで、

当時のシーズンムービーを見せてもらった。


SHUFFLE 13-14 season movie!!

その時のムービーがこれ。

 

初めて見た時のあの感覚。

あばら骨にビリビリっと電流が走った感覚。

喉がうぐぐって唸る感覚。

全身の毛穴が震える感覚。

 

そんな衝撃だった。

 

その時に言われたのが

”これ、半分以上、大学に入ってからスノーボード始めたんだよ”

 

んんん。

・・・私も、出たいぞ?!

 

そんな始まり。

4年間分、出演できたよ。

私の目標達成。

 

この時の私は3年半後に全く同じことを

ブログに書いてるなんて思ってなかった。

 

 

4年間を通して感じたこと。

みんなの目が、めちゃくちゃ綺麗、ということ。

 

スノーボード”という一つのことが

好きで好きでたまらなくて集まった人たち。

 

何かに向かって真剣に、本気で打ち込んでいる人の目ほど美しいものってない。

 

本気で練習して、本気で一緒に頑張っている仲間だから

そんな人たちと飲むお酒がマズイわけない。

 

 

その上で。

このサークルの何が素敵かって。

 

上手が正義じゃない。

上手が偉いわけじゃない。

 

ジャンプ台でくるくる回れなくたっていい。

4回生が1回生よりうまくなくたっていい。

みんなが見てる大事な場面で転んだっていい。

 

そういうサークル。

 

自分が思う自分のカッコイイを追求して

それぞれがそれぞれの目標に向かって頑張ってる

 

そういうサークル。

 

 

私、全然スノーボードは上手じゃなくて。

 

男の子たちのスピードには全然ついていけないのね。

一緒にスタートしても気づいたら周りからいなくなってて。

 

ひとり!不安!どうしよう!

って思ってちょっと滑り降りてたら。

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みんなこうやって待ってくれてる。

 

そういう人たちの集団なんです。

 

お金のかかるスポーツだし、

体力も時間もいるスポーツ。

 

みんな生きてる環境が違うから

同じだけ練習できるわけじゃない。

 

でも、それでもいい。

そういうサークルなんです。

 

自分が自分の目指すところを真剣に目指せて

周りも真剣に応援してくれる。

 

そういうサークル。

 

 

これ、私たちの代の追いコンで私が話してる動画。

 

こんなの撮った記憶ないくらい

べろんべろんに酔っ払っているけれど。

 

酔っ払っている時に言うことって本音なんでしょ。

 

”大学生活が200倍楽しかったです”

 

最後に本気でこんな風に言えるってすごくない?

我ながら、誇らしい。

 

これを読んでくださっている読者さん。

こんな素敵なサークルに恵まれて羨ましいだろ!

って自慢したいわけではありません。

 

私にはこう思えるサークルだったけれど

辞めていく人もたくさんいました。

 

人によって合う合わないは、ある。

 

4年間続けることが偉いわけではない。

 

自分が好きなことができる環境

自分が素敵でいられる環境

自分が自分らしくいられる環境

自分の目がキラキラしていられる環境

 

そういう”居心地の良い場所”にい続けること。

これが大切なのかな。

 

ただ。

 

仲間ってすごいよ。

ベクトルは違えど、同じステージで一緒に頑張る”仲間”の存在。

何にも変えられない。

 

大学1回生のみなさん。

そんなあなたにとって素敵な環境を是非見つけてください。

 

1回生だけじゃない。

私もだけれど。

 

自分が自分らしくいられる空間。

 

大切にしたいな。