傷跡と生きるvol.02
ついに迎えた退院の日。
歩行速度はカタツムリには変わりなかったがやっとの思いで家に帰ることができた。
普段何気なく使っている手すりやエスカレーター、エレベーターに何度も救われた。
ありがたし。
余談だが、病院のトイレは座りやすかった。
家に帰ったという喜びを遥かに凌駕したのが、お風呂だ。
病院にこもっていたとはいえ真夏に10日間もお風呂に入れなかったのだ。
それなりに香ばしい香りがしていた。
お見舞いに来てくれた友人たちに「臭いな」と思われたくなかったので「めっちゃ臭うやろ!?」と先に言って保険をかけていた。
健気だ。
いざお風呂に入ろうと思うと、洋服を脱ぐのも、お湯に入るために浴槽を跨ぐのも一苦労。
やっとの思いでお湯に浸かる。
あぁ、ここはオアシスかしら。
ここで初めて「生きていてよかった」とそう思った。
それまでにも幾度となく言ってもらえた「生きててよかったね」という言葉。
正直なところ、死にかけた実感も生き残った実感もなかったが、本当に初めて、「生きている」と思った。
しかし生きていてよかったとは思ったものの、「人生一度きりだから好きなことしよう」のように価値観が変わるようなことはなかった。
人の価値観なんてものは、交通事故にあって死にかけたり海外に1年やそこら行ったところで変わるものではない。人との出会いによって、恋によって変わるものなのだ(自論)。
それからしばらくは通院し、治療を続けた。
1ヶ月もすると傷口も気にならなくなり、普通に歩けるようになった。
夏休みが終わった。
傷口が気にならなくなったと書いたが、それはあくまで主観であって、一般的に見ればまだまだ傷跡は生々しく、なかなかにグロテスクなものだった。
車のシートベルトが痛かったり(今度運転席に座った時に意識してもらいたい。シートベルトって首に当たるんだよ。知らなかったでしょ?)、お酒を飲むと血流がよくなって血が吹きでてくるのでは!?と焦ったり(じゃあ飲むなよという正論はご勘弁ください好きなんですお酒が)と、何かと不便に感じることは多かったが、楽しく過ごしていた。
事故からちょうど3ヶ月後、大学のイベントでハロウィンパーティーがあった。大学生になったばかりでそういうのにも行きたいお年頃だった私は、友達と化装して潜入した。
会場に入った瞬間、友達が駆け寄ってくる。驚いた表情をする。
「え!真奈のその傷メイクすごいな!どうやってやったん?」
すみません、体張って作った自前です。
今でもハロウィンのたびに思い出すエピソードだ。もう笑い話だ。
傷が消えてもこのエピソードは消えないな、すべらない話になるな、なんていう甘い思考は何度目かの通院で打ちのめされた。
お医者さんに言われた。
「傷跡は、一生残る。消えない」
通常、皺に沿った傷ならば時間が経てば比較的目立たなくなるそうなのだが、私の場合、皺に垂直な傷。縦にざっくり、だ。消えないそうだ。
それまで「いつか消える思い出」程度に考えていた傷跡。消えないと断言されたあの時の衝撃ときたら。感情ときたら。仮にもライターという肩書きで文章を書く仕事をしているくせに申し訳ないが、うまく言葉にできない。
当時の私は、気が狂ったように「傷跡 消す方法」「コンシーラー 隠れない 傷」などと検索していた。
当時のインスタグラムにストーリーズ機能があったならば、私のストーリーズには医療用のコンシーラーの広告が溢れていただろう。
事故から1年半後の2016年3月、形成手術を行った。
事故当日の手術は縫合手術と呼ばれるもので、とにかく開いた傷口を塞ぐ応急処置のようなものだった。
言い方は悪いが、ザク縫いといった具合だ。
今回の形成手術は、傷跡を少しでも目立たなくするためのもの。もうあんな思いはしたくないから全身麻酔で…とお医者さんに訴えたところ「当たり前だ」と言われた。何時間もかかるから寝かしてくれるとのこと。
安堵。
しかし、チョチョっと縫って終わりと思いきや、結構大がかりな手術らしい。
手術の詳細を説明してもらった。
今塞がっている傷を一旦ジグザグに切り開き、綺麗に縫い合わせるそう。説明を聞いているときはあまりにも恐ろしく他人事として捉えることで乗り切った。
私の身体をジグザグに切り開くなんてそんなことはやめてくれ。心は訴えていた。
「それでもマシになる程度だからね。全部は消えないよ」
「うん、わかってるよん」
その頃にはもう、「交通事故 顔 一生傷 いくら」と検索するようになっていた。
形成手術のための入院は、3日間。
全身麻酔には様々な検査が必要だった。肺活量だったりなんやらかんやら。血も抜いた。注射器3本分。
「結構抜くんですね、貧血でフラフラする」
「大丈夫、3本分でスプーン一杯もないくらいだから」
病は気からです。
何より苦労したのは肺活量の検査だった。
私には中学校の吹奏楽部で鍛えた自慢の肺活量があるのだが、検査の時にあまりにも頑張りすぎたら効きすぎて二度と目覚めないのではないか、逆に弱くしすぎたら手術中に目覚めるという前回の恐怖再びという展開になるのではないかとハタチの私は思い悩んでいた。
恐怖に打ちひしがれながらも、全力で吹き込む方を選択した。
検査技師さんは笑った。
「そんなに頑張らなくていいですよ。普通で」
普通とはなんだ。まさか病院の検査室の中で哲学的な思想に耽ることになるとは思いもしなかった。
普通ってなんですか?
ちなみに、私が一生懸命していたのは腹式呼吸だった。何度もやり直した。
検査も終わり病室に行くと、まず点滴をするという。腕を差し出す。左腕にチクリとした痛みがした。直後、看護師さんが声を出した。
「あ」
看護師さんの「あ」は、病院で聞きたくない言葉ランキング第1位ではなかっただろうか。
「ごめんね、血管が細くて失敗しちゃった。もう一回するね」
チクリ。
「ダメだねえ」
二度も失敗された挙句、腕では無理だと判断された。次の看護師さんの行動はあまりにも無慈悲なものだった。
親指の付け根あたりの血管にブスり。注射は苦手ではないタチの私でも流石に顔を歪めるほどだった。
いてえよ!!
3日間、親指に針が刺さった状態で過ごした。
あ、見る?
さて、今からありきたりな話をしようと思う。
待ちに待った(と表現するのが正しいかどうかは置いておく)手術当日。
手術室に移動する前にまた注射された。
「だんだんと意識がぼんやりしてくるからね、気付いたら手術終わってるよ」
しかし一向に意識がぼんやりする気配がない。
むしろ緊張からか興奮状態である。
手術室への移動時間がやってきた。
え、ちょっと看護師さん、意識全開なんですけど。
「手術室で麻酔するから大丈夫よ」
そう言いながらベッドごと手術室へ移動した。今回ばかりはお姫様だわと思うような余裕は流石の私にもなかった。
入室後、
え、怖い怖い怖い。ちょ、ここドラマで見るような天井やんすげえ。待って怖い無理。あ、ほんまに青い服着てるんや。え、無理。と絵に描いたような情緒不安定であった。
「じゃあ、麻酔するね」
やだよ怖いよ。
悲しきかな、心の声は届かない。口と鼻にマスクを被された。
「3、2、1って心で数えてね」
じゃあ数えてねと看護師さんが言った直後、マスクからぷしゅうとガスが入ってきた。麻酔が効かないことを何よりも恐れている私は必死で吸う。
3、2…
ドラマや映画で意識が遠のいていく様子を表現するために映像がぼんやりする演出があるが、あれは限りなくリアルに近いということを知った。
目に貼られていたテープが剥がされた感覚があった。あぁ、意識が戻ったようだ。無事、人間界へ生還である。
喉が激しく痛い。乾燥している。口から気管まで人工呼吸用のパイプが通されていたようだ。そして、何より激しく気持ち悪い。人生で一番吐き気を感じていた。
否、二日酔いに比べたらマシだった。二日酔い、あれはダメだ。死にたくなる。
まず周りの目が優しい。気持ち悪いですと訴えても「アホやなw」と失笑される二日酔いとは違い「辛いね頑張ったね」と柔らかい声をかけてもらえるのだ。
麻酔万歳。
2日後には、無事退院することができた。
つづく。